「他人の欲求充足のお手伝いをしながら自分の欲求を満たすこと」これは選択理論を学んでいる私達が目指すことの一つです。
私達はDV加害者であることを認め、被害を与えたパートナーや周りの人達に対しての償い、普段の生活での指針として相手の欲求充足について考えますが、皆様は自分の欲求を満たすことについてどのように捉え、実行しているでしょうか?
自分の欲求を満たすこと。このことはグループで学べば学ぶほど、自分は何が必要なのか、満たされるとどうなるのかを知る機会になります。
欲求を満たすこととストレス解消は別であり、グループで学ぶまではストレス解消という行為が欲求不満を解消する手段であると信じていました。
さらにストレス解消には自身や相手に対する破壊的行為におよぶものもあります。例えば暴飲暴食、過度な飲酒、散財、物に当たる、他者に対して身体的及び精神的な暴力をふるうなどです。
これら破壊的行為は一時的に満足したような気がしますが、根本的に何が満たされていないのか認識できていないため、再度「満たされない」という感覚が現われます。さらに自身や他者を傷付ける行為により、相手からの不信感、罪悪感、自身の身体の不調が現われることもあり、破壊的行為による欲求充足は自他共に悪影響をおよぼしてしまいます。
自分に必要な欲求とは何か? 愛・所属の欲求か、自由の欲求か、楽しみの欲求か、それ以外か… いろいろと思いを巡らせましたが、私は「加害者である自分が被害者を差し置いて自身の欲求を満たすことをしてよいのか? 他者の欲求充足はどのように手伝えばよいのか?」との思いが強く、自分のことは二の次と考えていたため、先ず自分を知ることから始めなければならず、なかなか欲求充足について実行することができませんでした。
しばらくグループに参加していると、他の方々はいろいろな方法で欲求充足をすることで自分自身をコントロールしていると気づき、自分自身に余裕が生まれ、変化することを実感していけば他者に対する接し方も変化し、それが他者との良好なコミュニケーションにつながる。すなわち「他人の欲求充足のお手伝いをしながら自分の欲求を満たすこと」を体現しているように見えました。
そのような方々と学ぶうちに、徐々にではありますが自身の欲求充足について肯定的に捉えられるようになり、室内での筋力トレーニングと瞑想を新しく始め、洗濯、掃除、料理と何気ない日常も生存の欲求や他の欲求を満たす行為として考えることで、大きなことだけではなく、小さなことにも意味があると見方が変わりました。
今はパートナーと自分の生活に支障がない程度に子ども達との交流、趣味を再開、キャリアアップのための勉強、映画を見る、一人旅を計画と少しずつチャレンジしています。
自分は加害者だから償いのために自分の欲求を満たしてはならないと悲観的に捉えずに、欲求充足とは自分自身の内面を見つめ直し向上させる機会であると前向きに捉えることで、自分をコントロールして他者を思いやることができる。それが加害行為を手放す要因になるのではないでしょうか。
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