たんとで「運転者」を読み、本当のポジティブ思考とはどういうものなのか学びました。それは、「どんなことが起きても、自分の人生に必要だから起きたのだと考える」こと。今までの私は、自分の想定していなかった出来事が起きた時、なんでこんな目に合わなきゃいけないんだとか、こんなはずじゃなかったと嘆いてばかりいました。しかし、自分の「想定」というもの自体が、ただの幻想に過ぎなかったと今は思っています。「想定」は、自分が物事をコントロールできるのだという前提に立っていますが、宇宙から見れば一つのチリに過ぎない一人の人間が、自分の期待通りに物事をコントロールできるはずなどないのです。できるだけ「想定」に近い状況が発生してくれるように努力することはできますが、果たしてどのような結果になるのかは、「神のみぞ知る」ところです。大事なのは、その結果をどのように受け止め、考え、行動するか。「必要だったから起きたのだ」と考えれば、ではなぜそれが自分にとって必要だったのかと考えることができ、それが「起きた出来事」を「必要な出来事」に変えるための行動につながります。私の好きな言葉に、「過去は変えられないが、過去の意味は変えられる」というものがありますが、まさに、これからの行動によって過去の意味を変えていく作業です。言い方を変えれば、「これがあったから今がある」と最後に思えるように行動していくことです。
こういったことを意識して日々生活しています。別居当初は「こんなはずじゃなかった」思想でしたが、徐々に「こうなることが必要だったんだな」と思える要素が増えてきています。まず最も大きいのは、パートナーと子供たちが私の暴力性から離れられたこと、そして自分の暴力性に気づき治そうと努力できるようになったことです。別居当初は、パートナーの弁護士から別居の理由としてDVを挙げられても、まったくのでっちあげだと本気で考えていました。たんとで学び、自分がいかに常日頃暴力を行使していたかに気づくことができ、いたたまれない申し訳なさを感じています。あのままの自分がずっと家族と一緒にいたら、いったいどれだけ傷つけていたかと思うと恐怖を感じます。こうなってよかった。他、別居を機に仕事の専門領域を変え、以前より大きなやりがいを感じられるようになったこと、生活力を身につけられたこと、自分の認知の歪みや価値観、生き方について深く考えるきっかけが得られたこと、いろいろなことにチャレンジすることができたことなど、「あの出来事があったから」と思えるようなことを少しずつ増やせてきていると感じます。
また私の場合、「自分の行動によって結果を完全にコントロールできる」という思い込みが、「間違いは犯せない」という恐怖感を生み、行動の萎縮につながっていた面もあります。しかし結局、私は今の自分が正しいと考えることしか選択できないし、その結果も「必要があって起こる」ことでしかないのならば、せいぜい自分が思うようにやってみようじゃないかと思えるようになってきました。どうなっても、それをまた「必要」だと受け止めて、また行動するだけです。最期に「いい人生だったな」と思えるように、悔いのないように生きていきたいと思います。
写真は、パラグライダーで飛んでいる私を仲間が写してくれたものです。最近チャレンジしていることの一つです。
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