子どもは僕のことをどう見ているのだろうか

加害更生プログラムに参加する以前の僕は、妻との関係は最悪だけど子どもとは仲良くやっていると思っていました。

僕は自分がDVをしている自覚がありませんでした。妻に対しては、子どものためにちゃんと家事をしない、だらしがない人だと思っていました。

そのような妻が、子どもを叱りつけたり、子どもに辛く当たるのを見たりすると、胸のあたりがざわざわしだして妻に対して怒りが湧き上がってくるのでした。僕は自分のことは棚に上げておいて、妻のことをなんて身勝手で自己中心的な人なんだ、と思っていたのです。

僕が妻から子どもを守ってあげなければならないと思っていました。

 

僕はいつでも子どもの味方。子どもも僕のことを大好きなはず。そう信じていました。

しかし果たしてそれは真実だろうか。

 

話は僕が小学生だったときまで遡ります。ちょうど息子と同じ小学校低学年の頃。

その頃は友だちと口げんかになったときの捨て台詞は決まって「お前のかあちゃん、でーべーそ」でした。それが相手には一番こたえる。僕もそれを言われると何とも言えない悔しさと悲しさを感じたものでした。

必死になって「お前のかあちゃんの方がでーべーそ、だ」と言い返して、お互いの母親の悪口を言い合っていました。大人から見れば微笑ましいような幼稚な口げんかでも、当人たちは必死になって自分のお母さんのことを庇っていたものです。

 

当時の僕の家では父親が絶対的な権力を持っていました。

昔は怖いものの例えとして「地震、雷、火事、親父」などと言ったものです。父が仕事で不在のときに母の言うことを聞かないと「お父さんに叱ってもらうからね」と母から言われたものです。

そんなことを言う母に対して「何だよ。告げ口なんかして、ずるい」などと言って反発していました。

案の定、帰宅した父にげんこつをもらいながら説教されたので、告げ口をした母のことを恨んだものです。

 

ところがそんな母親も、ことあるごとに父から説教されていました。「お前は動作が遅い」、「段取りが悪い」、「要領が悪い」。

「子どもが言うことを聞かないのはお前の躾がなっていないからだ」。

その光景を目にすると、「あぁ、お母さんが怒られているのは僕のせいなんだ」といつも思っていました。「もうやめて」。申し訳なさと同時に叱られている母を見て可哀想だと思っていました。

でも、非力な自分にはどうすることもできませんでした。

僕はただただ、お母さんが虐められているのを見ているだけでした。この嫌な時間が早く終わればいいのに、と願うのみだったのでした。

 

これを止めるためには僕がしっかりしなければならない。そうすればきっとお母さんはお父さんに怒られなくても済む。そう思っていました。

怒ってばかりいるお父さんなんて家に帰ってこなければいいのに。そうすれば僕も自由にしていられるしお母さんだって優しいのに。

お父さんが仕事から帰ってくる時間が近づくと「ほら、さっさとご飯食べて」、「テレビ消して」、「部屋を片付けなさい」、「宿題やったの」、いつものんびりしているお母さんが急に口うるさくなるのでした。

 

別居する以前、僕は仕事から帰るとすぐに台所で焼酎の水割りを作ってテーブルにつき、妻が出してくれた夕食を当然のように食べていました。息子の幼稚園でのできごとなどを聞きながらみんなでご飯を食べる時間は、僕にとって何よりの癒しでしたが、話の主体が妻のことになると途端に面白くなくなる。だんだんと怪しい雰囲気になってきて、口論がはじまるのでした。

さっきまで、笑って楽しそうにおしゃべりしていた息子は無口になり、僕たちの口論をやめさせようと、箸で食器を叩いたり、食事の途中に席を立っておもちゃを出したりして気を引こうとする。すると妻は「ちゃんとご飯を食べちゃいなさい」と声を荒らげる。それを見た僕が「そんないい方したら可哀そうだろ」と言い返す。

そんなことが頻繁にありました。

 

そう。別居前の僕の家庭は、僕が子どもの頃と同じようなことになっていたのです。

 

プログラムでDVについて学べたことにより、これに気づくことができました。きっと僕が帰宅する時間になると、妻は言うことを聞かない子どもに手こずりながらも部屋に散らばったおもちゃを片付けさせて、帰ったらすぐに食事ができるようにと、てんやわんやで準備をしてくれていたのだと思います。

そんな妻の様子を想像することもなく、当然のようにテーブルについて晩酌をはじめ、機嫌を損ねると文句を言いだす。それが子どもの目の前で、僕がしていた父親としての振る舞いだったのです。

優しいお母さんを奪ってしまってごめんなさい。楽しい時間を奪ってしまってごめんなさい。

今までお父さんがお家で君に見せてきたことは間違っていました。 今、お父さんは仲間たちと一緒に「優しいお父さん」になるためにお勉強をしています。

人は間違いを認めることで必ず変わることができる。お父さんはそういう姿をこれからもずっと君に見続けてもらいたいと思っています。

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