愛する人の死から感じたこと

私は、一歳の時に父親を亡くし、母子家庭であった。その母親が今年のお盆に他界した。

高齢だったので、体が弱くなっていた。ある夜中に倒れて救急車で運ばれた。私は、たまたま実家にいて、姉と救急車で病院に向かった。

病院で検査を行い、即入院となった。一度は回復に向かったが、誤嚥性肺炎になってしまい体調が急変、帰らぬ人となった。

 

昨今、火葬場は混んでいて死亡してから葬儀まで1週間以上かかることもあるという。例外なく母親もそうであり、その間、安置所に保管された。生前、家族のみの葬儀にしてほしいと言っていた。

私は兄弟に故人の意志を電話で伝えたが、皆、安置所まで足を運んでくれた。葬儀も出席してくれた。死んだ兄弟に一目会いたいという親族の気持ちを肌で感じることで、故人の人脈の偉大さを感じた。

この親戚との関係を継続することは、残された子供たちの使命であると感じた。

そもそも支えてもらっているのは我々の方であるが、故人が築き上げた関係を継続する行動は、残されたものの義務であると思った。

 

このことで感じた。

私の加害は、パートナーや子供達、被害者にとって、大切な愛する人との関係を壊す許されない行為であるということを。私が行ったことはなかったことにはならない。加害者性を克服することは一生かかることだということを認め、より良い関係構築を目指したい。

 

書籍の『運転者』から学んだことがある。

本当のプラス思考とは、どんな経験も自分にとって必要な経験であると感じ、それを活かすことである。愛する人の死を、自分自身の成長・改善に活かすのは、今後の自分自身の行動変化にかかっている。

 

今後、墓参り、一周忌、三回忌と故人を偲ぶ機会はいくらでもある。その際に忘れてはならないのは、自分の行ってきたDV・虐待が被害者に与えたことを同時に感じ、今の自分自身に問いかけることであると感じている。次に故人と会うのは四十九日である。そこで、自分の成長・改善が報告できるようにプラス思考で生きていく。

 

 

 写真は、長女が書いてくれた母親の似顔絵である。入院部屋に貼って飾っていた。

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