日々、実質的に独り身の生活を送っている。その中で感じていることを書きたい。
グループ参加し始めてから、以前は噂で聞いていたようなことが、実際に書物を読んだり、グループでの学びから得たことになっていて、
今はそれらを少しでも身に着けようと努力を続けている。
そうすると、今まであまり気にしていなかったり、気づかなかったことにも気づくようになってきている。
特に、矢印を自分に向けることについては、以前は気にも留めていなかったが、そこを意識するだけでも、
周囲のこと、自身に降りかかってくること、そういった環境に対して、たとえ自身にとって表面的直観的に厳しいことでも、それを受容したり、
その場では苦しいと感じても、あとで楽になったり、もっとうまくいくときは、その場でも気持ちが楽になることが増えてきた。
それだけでも精神衛生上、クリーンな生活を送ることができるようになってきていることがうれしい。
また、子どもたちと離れた生活をすることで、子どもたちのことに常々思いを馳せつつ、他人様のお子さま達を見ているだけでも、
子ども達が同世代だったころを思い出し、思わず微笑んでしまうことも多くなった。
さらに他人様の子どもたちについてもいとおしい感情があふれてしまい、胸がいっぱいになることが常々出てきている。
(ただし、それは過去に戻ることになるというリスクもあるのかもしれず、少し怖れの感情を抱くのかもしれないということにも着目しないといけないとも思える。)
最近、たまたま霊峰富士の雄姿をいろいろな角度で見る機会が出てきたが、霊峰からすると、私自身はまだまだ小さな人間であり、
雄大なその姿が自身の成長を促すように見つめているように感じることとなった。
今までは、大きいな、すごいな、美しいな、というにとどまるような感情しか浮かんでこないことが多く、実際に登山した際には、
その荒々しさや凛とした姿に感動することはあっても、そういう擬人的なイメージを持たなかった。
いまや、富士山信仰ではないが、なんとなく気持ちが洗われるような気持ちになり、自身の精神的にも清々しくなることにつながり、
これもグループでの学びから、少しずつでも自身が変わってきていることになっているような気分になり、気持ちがよくなった。
これからも自身を成長させることを続けていきたい。
成長できることがあること自体にも感謝し続けたい。
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