自分の暴力を全部認めて話すこと

自分自身のDVや虐待の加害行為を認めることは難しいと思います。

私自身、直接的な加害行為に加えて、それを認めないことで元妻や子どもたちを更に傷つけて離婚に至りました。そのような私は、自らのDVや虐待に用いた様々な精神的、性的、身体的な暴力を全部認めなければ変わることができません。そんな私が暴力を手放して自分を変える方法の一つとして、正直に自分の加害行為を周囲に話すことも必要だと思います。同時に、傷つけた家族の気持ちを受け入れることが欠かせません。

 

私自身、約2年の別居期間中と離婚してからの約1年は自分勝手で、別居や離婚が辛くて周囲に話すことができませんでした。振り返ると、自らDVや虐待をしておきながら周囲に話すのが辛いと言う私は、身勝手極まりないと思います。しかし自分の暴力に向き合うと、周囲に正直に話すことで自分を変える一助になると気づきます。

一方、私が周囲に話そうとしても、周囲の人はそんな話を聞きたくないと思うかもしれません。またもちろん、被害を与えた元妻や子どもたちの気持ちも大切です。元妻や子どもたちは、話してほしいと思うこともあれば、私が正直に話すのか、不安もあると思います。そもそも元妻や子どもたちは、もう二度と私に関わりたくもなく、過去を早く忘れたいと思っているかもしれません。そうした気持ちに想いを馳せて、それを私の価値観で歪めることなく受け入れることも、今の私には大切なことです。

そんな元妻や子どもたちを再び傷つけることなく、周囲に話すにはどうするか。話すことは自分を変えることに必要ながらも、丁寧に考えて話す必要があると感じます。

 

話すにはまず、話を聞いてもらう相手に聞く準備をしてもらえるかどうか。それを相手の立場で考えることも、今の私には大切なことです。私に関心の少ない友人に話すと、聞かされるその友人には迷惑かもしれません。私に関心を持ってくれる友人でも、突然DVや虐待で私が離婚したと聞かされると戸惑うかもしれません。すると、相手の聞く準備に合わせながら少しずつ話すことも必要だと気づきます。こんなことを、現在たんとすまいるのメンバーに助けてもらいながら学んでいます。

同時に大事なことは、私が意図せずとも、被害者である元妻や子どもたちにとってのセカンドDVにならないようにすること。そのためにも自分の責任をすべて認めて真摯に、自分に正直に話すことだと思います。

それには次の三点を忘れる訳にはいきません。

①正直に話したからといって私のDV加害が赦されることではないこと。

②DV加害の責任の一切は私自身にあることを認めて、その事実を伝えること。

③話しても話さなくても、癒えないであろう傷を与えてしまった元妻や子どもたちの辛さや悲しみに共感し、一生その責任を負うこと。

そうすることで元妻や子どもたちが安心安全と感じてもらう距離から、私は遅ればせながらも私の責任を全うしていこうと思います。

 

その上で、私にはもう一つ気をつけることがあります。それは「話さなければならない」あるいは「話してはならない」と、答えを一つに絞ることです。

この考え方で私はいわば自分だけの歪んだ正しさを増幅し、それを押し付けて家族を怖がらせていました。それは精神的な暴力であり、私が手放さなければならない考え方です。そのためにも、答えは一つではなく人それぞれの考えがあり、都度相手の気持ちを受け入れることを身につけたいと思います。そのためにもたんとすまいるのメンバーと学びを続けて心を開き、今も繋がりを持ってもらえる周囲の人々との安心安全の距離を保って生きていこうと思います。

今は会うこともない元妻や子どもたちにも安心してもらえるように、私は自分自身の暴力を全部認めてそれを手放し、誰に対しても二度と暴力を振るわない人間に変わる学びを続けて行きます。

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