家庭内のルールについて

約半年間の別居期間を経て、同居を再開してからはやいものでもう一年と二ヶ月が経ちました。

その間、パートナーは転職し、娘は3歳児クラスになり、また四年近く住んでいた家からも引っ越しをするなど、いろいろなことがありましたが、たんとでの学びの成果か、そうした変化のタイミングでも、夫婦間の揉め事などは特になく、穏やかな日々を過ごせているとの実感があります。

さて先日、グループ内で家庭内のルールをどの程度まで決めておくべきかということが話題になりました。

ルールといっても、大小さまざまあるとは思います。しかしこうした決まりごとについて、たんとに参加する前の自分はものすごく神経質だったなと、あらためて当時を振り返りました。

例えば家事ひとつとってもそうで、結婚当初は、食事の用意は自分、片付けはパートナー、洗濯物を干すのは自分、畳むのはパートナーといったざっくりした役割分担だったはずなのですが、それが次第に習慣化してくるとともに、食器の片付けが済んでいないのを見るとイライラし、取り込んだ洗濯物がそのままになっているのを見てはイライラし、ということを繰り返していました。

当時は、決められたルールを守っていないという面にフィーチャーし、またそれをパートナーを責める口実に使っていたのだと思います。

ただ、よくよく考えてみれば、ルールというのは、わたしたちの社会の質を向上させるために生み出されたものであり、またそれを用いる主体がわたしたちなのであってみれば、ルールに縛られて共同生活の質を下げるというのは、まったくの本末転倒といえます。

いまでは家事の役割分担は、そのときどきの状況に応じて行うことにしており、例えばパートナーが雨の中子どものお迎えをしてくれたときなどには自分が食器を片付け、自分がほぼ徹夜で仕事をしたときなどは、朝のゴミ出しをパートナーがしてくれというように、別居前よりもそれぞれの役割が流動的になった気がしています。

もちほんここだけは守るべきというルール(というよりモラル?)は、共同生活に必要なのでしょうが、あまり役割を固定化しすぎるよりも、おたがいにとってラクなほう、ラクなほうへとルールを変えていく柔軟性が大切ではないか、と最近は考えている次第です。

 

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