多忙な日々を楽しくイキイキと

学びを始めて6年目になるTです。

コロナ禍から時間も経ち、テレワークやリモート、不要不急の外出などの言葉に懐かしさを覚える今日この頃です。

当時小学2年だった長女は中学2年に、息子は小学5年に。毎日毎週部活漬けの日々となっています。現在私も3週間連続で3か国の海外出張となり、ただただ多忙、健康でいたい。といった状況となっております。

〇こういった状況で以前の自分なら、

・家族に対して、主人である自分がこんなにいそがしいのだから、帰ったときくらいゆっくりさせろ。

・めったに休めない自分が休みをとって家族サービスをしようとしているのだ。少々子供たちの具合が悪かったり、都合が悪くても父親の自分に合わせるべきだろう。

というような言動をしていたのではないかと思うことがあります。

〇自分の学びの変遷を振り返ると、

・コロナ禍の中、2度目の別居(数か月)、一度、別居を解かれて、すべてが許された気持ちになっていたことをパートナーや”たんとすまいる”で見抜かれたこと。

・本当の意味で一人となり(外出もできない)、自分が何を学ぶべきか。夫として父親として自分が社会の中でどうありたいか。など真剣に考えるきっかけになったことを思い出します。

 

〇それからコロナ禍が明けて、忙しさは月を跨ぐことに過去最高を更新中です

 以前は仕事が忙しくなるたびに、自分の支配的な言動が家族に悪影響をあたるのではないかと、パートナーと話す機会を設けていましたが、今はほとんど触れることがなくなりました。忙しさの中にトラブルやイレギュラーがたくさんありますが、安定して難なく乗り越えることができるようになったと思います。忙しい中、空いている時間にいかに趣味や旅行の計画を楽しく入れることができるか、そのような会話がパートナーや家族と増えたと思います。振り返ると、以前、たったあれだけの忙しさのために、どうして家族を自分が攻撃していたのか、不思議に思いますし、それだけ自分が小さかったのだと認識します。

 

そのような中、私が学びで注力してることとして、

 ①月3回のグループへの参加

 ②気づきノートの提出

 ③課題の期日通りの提出

これだけは手を抜かないことが私とパートナーとの信頼関係構築の要因の一つとなっていると思います。いつも真剣、どんなに忙しくても優先度をあげて(仕事を犠牲にしてでも)受けているつもりです。時間は有限であり、パートナーやこどもたちと話すこと(楽しい話もそうでない話も)には、時間的な制限がある、時間は有限であると最近つくづく思います。

 どうせ話をするなら、自分たちのそれぞれの欲求を満たす、楽しい話がいいと感じています。そのために学びは私にとって必要なのです。引き続き自分の学びを進化させていきたいと感じています。

写真は最近始めた忙しい中フレキシブルに家族の欲求を満たす新しい趣味のSUPです

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