実感するまで分からなかった

たんとすいまいるの学びを続けていると、これまで日常で全く意識しなかったことに気が付くことがあります。今回はそんなお話をさせていただきたいと思います。

 

先日、家電量販店でずっとほしかったスマートウォッチを購入した私はウキウキでアプリの設定などを行いました。カレンダーを同期して予定が分かるようにしたり、通勤にしようするSUICA定期券のアプリを入れて使えるようにしたりしていました。月曜日を迎えていざ通勤となり、最寄りの駅の改札にたどり着いたとき、私はある事に気が付きました。

 

『スマートウォッチが左にあると、SUICAを使いにくい

 

これを読んでいる皆さんは「そんなの当たり前じゃーん!」と思うかもしれません。確かに私もスマートウォッチを購入する前にもこのことは知っていました。日本の駅の改札は右利きの人用につくられていて、切符の入れる場所や交通ICのタッチ個所は右側にあります。それを左腕につけていたスマートウォッチでタッチしようとすると、身体をひねらなくてはなりません。そんな当たり前の話なのですが、私は購入して使ってみて、初めてその使いにくさに気が付いたのです。

 

私はこのことが、「右利きの人と左利きの人との社会格差だ」と思いました。何を大袈裟な、と思うかもしれませんが、わたしはたんとすまいるでの学びで出てくる「男女の格差」について、自分が「使いにくい」という実感を得られたことで腑に落ちたのです。

 

私は普段右手てSUICAを使用しており、そこに何の不便さも感じていませんでした。たまに左手首にスマートウォッチを着け身体をひねって改札を通る人をみて「改札は右利き用につくられているもんな」、「左手首だと使いにくいよね」と思っても、知識として知っているだけで、実感も関心もなく、あくまで「他人事」でした。

 

さらに、私は男性に生まれ、男性であることに何の不便さも感じていませんでした。たまにニュースで、男女の平均年収の差や女性の昇進の難しさの藩士を聞いても、「会社の構造が男性主体になっているものね」、「昭和の企業だと価値観を変えることは難しいよね」と思っても、知識として知っているだけで、実感も関心もなく、あくまで「他人事」でした。

 

なぜなら、自分は「左利き」でもないし、「女性」でもなかったからです。

 

電車の改札については、たまたま「左利きの人と同じ状況」を体感することができたので、実感をもって「自分事」としてとらえることができました。その使いにくさは、自分が知識として持っていた使いにくさとは似て非なる感覚でした。私が知っていると思っていたことは、問題がおこっている対岸からぼーっと眺めているに過ぎない話だったと痛感しました。

 

私は、格差があった時に、自分がその格差による利益を享受している側にいると、その格差の本質に気が付くことはとても難しい、という教訓を得ました。男性であるというだけで優位な立場にいる私は、女性である元妻の事を見下していましたし、この「男尊女卑」の価値観が暴力を正当化していた理由の一つでした。

 

右利き左利きの話のように、私が女性になって元妻が感じていた男女の格差や差別を直接体感することは難しいと思います。それでも、少しでも実感を持って想像ができるように、自分以外の立場の人に共感をもって接せられるように、これからも学びをつづけていきたいと思います。

 

ここまでお付き合いいただきありがとうございました。

 

P.S.

 

5月に参拝した神社で咲いていた百合の花の写真です。花の写真を撮ることの楽しさを教えてくれた、妻に感謝を込めて。

                                2-12