『「離婚の理由は?」と聞かれた時に、正直に端的に答えてきただろうか?』
これは、たんとに通って数年になる私が、たびたび考えることです。
いうまでもなく、私の離婚は私のDVが引き起こしたものです。
とてもシンプルで、端的な回答がそこにあります。
しかし、とても親しい、あるいは信頼を築きたい間柄の相手であっても、
いざこの問いを向けられた時、私は即答してきたでしょうか。
たんとに通い出す前の私はもちろんのこと、通い出してすぐの頃は、
「私は○○で・・・、妻は・・・、その時私は・・・」といった、長ったらしく、
不明瞭な答えを述べていました。
(もちろん、誰にも彼にも元パートナーとのプライベートを
話して良いわけではないし、正直に話す相手や場所を間違えてしまうと、
その内容に関わらず、話す事自体が元パートナーや家族、
あるいはその時の話し相手に対する加害になってしまうケースがあることも、
注意すべきだと思っています。)
冒頭の問いを例に私が思うことは、何かを説明する際、
長くて不明瞭な言い回しをしてしまう時、説明に詰まってしまう時、
そこに自分の歪んだ価値観や特権意識、怖れがあったことが多かったということです。
歪んだ価値観や怖れを具体的に言うと、
「(出来ないこと・知らないことはたくさんあるのに)有能と見られたい」
「(自分の失敗や悪事を自覚しつつ)正しい側だと思われたい」
「(非常に利己的な判断に基づく行動であるのに)常識人だと思われたい」
「他者を一方的に虐待する人間だと思われたくない」
「一方的なDVをしつつも“お互い様なところもある”ことにしたい」
「弱い人間だと思われたくない」
「卑怯者だと思われたくない」
「周囲の人間が羨ましい、自分も羨ましがられたい」
「弱み・欠点は隠す。絶対に気づかせない」
『そのためには、何だって(嘘・ごまかし・暴力)する』
といった内容です。
たんとでの学びの一つは、これら目を背けたくなるような自分の思考癖に気付き、
紛れもない自分の特徴であることを認め、それをメンバー間で共有することで、
更に自分というものへの理解を深めていくことだと思います。
私の場合は、「ある行動の動機を話すことを躊躇してしまった時」、
「ある行動を回想する事や振り返る事を避けようとした時」、そのような時に、
自分の中にべっとりと塗られた思考壁、歪んだ価値感、特権意識、怖れの形に
気づくきっかけがあったことが多かったと、思います。
私はもう離婚しており、日常的にパートナーへ加害できるような環境では
ありませんが、パートーナーがいない環境であっても、
いつでも加害側へ逆戻りできる事を知っています。
友人や会社の同僚・配下社員に加害することもできますし、
離れて暮らすパートナーや子供たちに対してもそうです。
「自分がDVしたことを知ったからには、2度とするわけにはいかない」
これはたんとで学ぶ仲間から教えて頂いた言葉です。
何度掘り返しても、今まで気づかなかった、隠していた、気づかない振りをした、歪んだ価値感、
特権意識、怖れに気づくことがまだまだありますし、
逆戻りすることに対する怖れも、常に感じます。
『加害者性を克服することは一生かかることだということ(変化へのステップ12)』
この文には、学びを続けるほどに重みを感じます。
一方で先日、会社のある方から「変化」を指摘されたことがありました。
「(昔に比べて、)怒る事を放棄したような雰囲気を感じることがある」というものでした。
自分はまだまだ学びの途上ですが、更に自分を変えていければと思います。
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冒頭の写真は、新たな自分に変わりたい気持ちを込めて
チャレンジした、
バンジージャンプ中の自分です(2021年)。
意外と性に合っているようで、今度3年ぶりに再チャレンジする予定です。
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