
春は「出会いと別れの季節」。誰しもが少なからず経験してきたことでしょう。私自身も子どもの頃の入学や卒業、社会人になってからの会社の異動など、様々な経験をしてきました。「出会い」と「別れ」をどのように捉えるかは、人によって様々でしょう。また、その出会いや別れがどのような性質のものかによって、良いものと捉えるか悪いものと捉えるかも変わってくるとも思います。
私は自分が特に「別れ」を悪いものとして捉える傾向があると感じています。これは人とのことに限らず、例えば物で考えるなら、「思い出の品物を捨てられない」「着なくなった服をいつまでも取っておく」といったことも、同じように「別れ」を悪いものと捉える傾向の表れだと感じています。
それ自体は必ずしも悪いことと言い切れるわけではありませんが、それが限度を超えて人や物に執着するようになると、「別れ」を悪いものと捉える考えは極端な行動につながる可能性があると考えています。例えば、パートナーや子どもに執着するようになると、一時的な別れさえ嫌がり、パートナーや子どもたちを束縛したり、思い通りにならないと感情的に反応したりすることが私自身ありました。
そうしたことを振り返り、「出会い」と「別れ」について考えるとき、別の表現として「一期一会」という言葉が思い浮かびます。
もともとは茶道において、茶会は二度と繰り返されることのない、一生に一度の出会いであるとして、招いた側と招かれた側が互いにその機会を大切にし、誠意を尽くすことを意味する言葉だという説があるそうです。
先に書いたような出会いや別れに執着する考え方は、「一期一会」とは対極にあるように感じます。かつての出会いや別れに執着している考えは、自分では家族を大切にしていると考えていたかもしれませんが、実際には別れるその瞬間に執着しているだけで、それ以外の時間、パートナーや子どもたちと過ごす一瞬一瞬を大切にしていたようには今振り返ってみると、自分のことながら思えません。本当に大事にすべきは別れないことではなく、別れがあっても一緒にいられる時間を大事にすることだと思います。
パートナーや子どもたちとの関係も永遠ではありません。子どもたちはいずれ親元を巣立ちますし、自分やパートナーにしても命は永遠ではないのです。私は今、家族と別居しているからこそ強く感じられるのかもしれないですが、親しい関係だからこそ「一期一会」という考え方を大切にして、持てる時間の一瞬一瞬を大切にしていきたいとこの春の季節に改めて考えています。
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